『新勅撰集』巻六(冬部)①神無月・時雨 362〜365)
三六二 題知らず 大伴池主
神な月時雨にあへるもみぢ葉の吹かば散りなん風のまにまに
現代語訳:神無月に時雨に遭った紅葉の葉は、風に任せて、吹けば散ってしまうだろう
三六三 題知らず 相模
いつも猶ひまなき袖を神な月ぬらしそふるは時雨なりけり
現代語訳:いつもやはり間断なく(恋の)物思いの涙が濡らす袖を、神無月に、涙に加えて濡らすのは時雨であったのだなあ
→同じ詠者の類似する内容の歌
神な月夜半の時雨にことよせてかたしく袖をほしぞわずらふ(『後拾遺集』恋四 八一六 相模)
三六四 題知らず 在原元方
わび人や神な月とはなりにけむ涙のごとく降る時雨かな
現代語訳:嘆き沈む人が神無月になったのであろうか。あたかもその悲しみの涙のように降る時雨よな
三六五 大納言清蔭、亭子院御賀のため、長月のころとし子に申つけて、いろいろに営みいそぎ侍けること過ぎにける神な月のついたち、申つかはしける
とし子
千ぢの色にいそぎし秋は過ぎにけり今は時雨になにを染めまし
現代語訳:衣を種々色々に染めるのに精を出し、そのように木々の紅葉が忙しなく移ろった秋は過ぎてしまった。神無月になった今は、降る時雨で何を染めたらよいのかしら。